SEが契約を勉強してみたブログ

クラウド勉強会で知り合ったSE3人が法律、契約の話題で盛り上がり、勉強がてらブログはじめてみた。

約束。

さとうです。年末なので、ポエムを書きます。笑

 

 

これまで生きていて、いろんな約束をしてきました。

 

小学生・中学生の頃は、親と「ぜったい、毎日散歩連れて行くから。犬を飼わせて」って言ったり。友達同士で「ぜったい、内緒にするから。誰が好きかお互いに言い合おうよ」とか。

 

高校生になると、将来何になりたいか。とか、約束した。自分は、小説家とか映画監督とか、表現する仕事がしたい。って約束してた。それは友達への約束ではなくて、自分への約束だったな。あとは、「◎◎ちゃんのこと、ずっと好きだよ。」とか。相手に伝えたいというよりかは、自分自身に言い聞かせるように言っていたな。

 

大学生になると。自分は新聞奨学生をやっていたので、入学前に、月20〜30万円くらい出してもらう代わりに、朝刊・夕刊・集金をするっていう約束を、新聞社か、販売店かわからないけど、雇用契約書として自分で印鑑押して、親にもたしか押してもらったかな。このへんから、見知らぬ誰か(法人など)と契約することが出てきたなあ。ちなみに奨学生は、時間的な拘束が多くて辞めちゃったけど。最初にお金を借りる契約にしてなかったので、特にもめなかったな。

 

就職すると。自分ではなく、会社と会社で契約する窓口をしだしたりした。でも、文書の内容が難しすぎて、そのままボスにパスしてたなあ。ボスは、内容を確認すると、手持ち型の小さな金庫から、大事そうに印鑑(代表印)を出して、印鑑押してた。製本テープを机から出して、キレイにそれを文書の背に貼ってたのを思い出す。いまでも背にテープを貼る時は、ボスのことを思い出すよ。

 

大人になると、何か自分ではない存在(法人とか)の代理同士で、約束するんだなあ。不思議な感じ。

 

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ちょっと前に、親からお金を借りるかもしれないシチュエーションがあって。その際に親から「相続にあたる可能性があるから、ちゃんと文章で借用書残しておこうかね」って言われて。そうか、大人になると、親に対しても、外部に説明できるように文書を残す必要があるんだ。って、なんか寂しいような、複雑な気持ちになった。さらに、収入印紙って何さ、って思った。(二重課税になんないの?)

 

 

何かモノを作る時に、プロデューサー(もしくは営業)と、クリエイター(もしくは開発)を別ける習慣は、日本においては、センチメンタルな問題(※文書で残さなくても、心と心で約束すれば、それでいいじゃん)を解決するための方法でもあるんだよなあ。と思う。クリエイターが、事前に約束したことにばっかに縛られてたら、自分の表現(もしくは開発)ができなくなっちゃうから、交渉事はプロデューサーがやる的な。

 

でも最近は、クリエイターがプロデューサーもやらないと駄目な時代になってきてるな。と思う。アーティストにしても、レコード会社というプロデュース組織が崩壊しかけてきてるから、アーティストは自分でプロデュースまでできなきゃ、日の目を見るのが難しくなってきてる。

 

みんな、自分で、自分がどうしたいか。どうなりたいか、事前にある程度説明する責任がついて回る。

それはつまり、自分や周囲に対しての約束だ。あ、コミットメントとかいうのかな、世間的に。

 

コミットメントと、契約文書が緊密に結びつくことで生まれる緊張感って、でも好きだな。ただその前提として、守れなかった場合の責任が、有限であって、ほんとにその人(組織)が負える範囲である必要があると思うけど。相手をやる気にさせる(心を折れさせない)契約文書。

 

 

自分にも、人にも、約束するための契約書。そういう契約書が増えていけばいいなって思う。一方的に誰かが誰かを縛るとか。何かをやらせるにあたって責任逃れをするためのものでなくて。 よりよいものを生み出すための契約書。

 

・・・てか、相当ポエムだな。今回。もうちょっとして読み返してみて、微調整すれば公開できる内容になってたら公開します。笑

 

ふー。2014年も終わるね。今年は、何が約束できたんだろう。自分にそして、人に。

 

2015年。ここが勝負とがんばらねば。

 

みなさま、よいお年を。